2011年に軍政から民政への移管が行われ、16年には実質的な元首としてスー・チー氏が国家最高顧問に就任したミャンマーは、アジアのラスト・フロンティアと呼ばれていた。約50年にわたり世界経済から遠ざかっていたミャンマーが国際経済社会に復帰し、経済の開放や自由化が進むことを見込んだものである。
民政移管後、経済改革に取り組むミャンマーであるが新政権発足後は経済政策よりも民族和平を重視してきたと見る向きもある。民族和平は「21世紀のパンロン会議」を中心に進められており、直近では18年7月に同会議が開催された。ただし政府と少数民族武装組織との対話は一般的な原則の合意に留まる傾向にあり、民族和平の難しさを表している。
また、民族和平に加え、16年10月にミャンマー西部ラカイン州で国軍との衝突が発生し、大半が無国籍のロヒンギャ(イスラム系少数民族)が難民として隣国のバングラデシュに流出する事態となった。国際社会は広範な人権侵害が行われたとして、この問題の解決を強く求めている。
現状、これに伴う欧米の制裁は…